ホノルルの歴史1

 ハワイ王国の成立から現在に至るまで、ホノルルの歴史をご紹介します。

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  ホノルルの歴史1

ハワイ王国の成立は、19世紀以前までさかのぼります。この頃ハワイでは、その諸島は数人の首長の支配下にあり、首長たちは島々の支配権をめぐって勢力争いを繰り広げていました。なかでも有力な首長の1人が、ハワイ Hawaii(Hawai'i)島の首長カメハメハ大王でした。1795年、カメハメハ大王はマウイ Maui(Mau'i)島とモロカイ Molokai(Moloka'i)島に攻め込み、これらの島々を征服し勢力を上げていました。

彼の次の狙いはオアフ Oahu(O'ahu)島でした。ワイキキ Waikiki の静かな浜辺にカヌー隊を上陸させたカメハメハは、オアフ島に進軍し、オアフの王とあいまみえました。カメハメハの指揮のもと、オアフの将軍たちを狙い撃ちし、尾根の上に築かれた砦を攻め落としました。こうしてオアフ征服にも成功し、全島を統一したハワイ王国が誕生しました。

1809年、カメハメハはワイキキからホノルル港周辺の土地へと宮廷を移しました。そのころには、ホノルル港周辺に1800人近くが暮らす村ができていました。しだいにヨーロッパ人がハワイに目を向けるようになり、外国船がホノルル Honolulu への航路を見つけると、北米とアジアを往復する商船が港に集まってくるようになりました。港を通過するすべての貿易を監視するために、カメハメハはハワイの商業中心としてのホノルルの地位を固めていったのです。

1820年ごろには、太平洋を行き来する捕鯨船がホノルルに寄港するようになっていました。彼らは補給品や酒や女を求めてきました。ホノルルの人々はそうした需要に応えるために、港周辺に酒場や売春宿を次々と出現させました。ちょうどこの頃、捕鯨船員たちの後を追うようにキリスト教宣教師たちもハワイに上陸し始めました。キリスト教宣教師たちはハワイ王朝と親交を結び、急速に根を下ろしていきました。宣教師のリーダーの妻シビル・ビンガムは、重病を患ったカアフマヌ王妃を手厚く看病し、王妃の病を癒しました。そしてカアフマヌはシビルへの感謝の印として、安息日の労働と旅行を禁じる法律を成立させました。

宣教師たちは、当時のハワイの乱れた風紀を何とかして取り締まろうと考えていました。やがてハワイ王朝に対して大きな影響力を持つようになると、飲酒や売春を厳しく取り締まる法律を定めていきました。捕鯨が絶頂期を迎える1800年代半ばまで、ほとんどの捕鯨船がホノルルを敬遠するようになり、規制がそれほど厳しくないマウイ島のラハイナ Lahaina に逃げるように寄港しました。

宣教師たちによって再統一されたホノルルの市街には、やがてハワイの商業を支配することになる新興企業が集まりはじめました。そうした会社の中心的メンバーの名前は、アレクサンダー、ボールドウィン、クック、ドールです。最初に訪れた伝道船のメンバーと同じなのは、けっして偶然の一致ではありません。 

1845年、ハワイ王国の首都はラハイナからホノルルへと移りました。当時の国王カメハメハ3世(カメハメハ大王の末子)は、グレート・マヘレ Great Mahele 土地改革法という法律を施行しました。これは、信教の自由が認め、すべての男子国民に選挙権が与えるというものでした。そしてハワイ初の国民議会を設置し最高裁判所を作りました。1853年の人口調査によれば、ホノルルには11,450人の住民が登録されていました。この数字は、ハワイ王国の人口の15%にあたります。



  

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