歴史3

 サイパンの歴史3についてご紹介します。

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 歴史3

近代

 世界中で植民地獲得の動きが盛んになると、北マリアナ諸島を含むミクロネシアの島々は列強の争奪のかっこうの的となります。
 
  1899年にドイツはスペインから北マリアナ諸島を買収し、コプラの栽培を進めようとしました。しかしドイツの支配は第一次世界大戦までしか続きませんでした。代わって第一次世界大戦時には、日本が統治受任国に就任します。日本はコプラよりもサトウキビに関心を示し、ココヤシの林と熱帯雨林を切り開いて農場を拡大していきました。その過程で、古代のラッテ・ストーンは多数撤去されてしまいました。マリアナ諸島での製糖業は、1930年代半ばまでにはミクロネシア全体の60%もの収益を日本にもたらすようになりました。砂糖王公園やシュガートレインなど、数多く残る当時の遺構を結婚式の際には見に行ってみるのもいいでしょう。

  日本人が初めて島に上陸したときは、マリアナ諸島には約4000人のチャモロ人がいました。しかし、第二次世界大戦の直前には日本人と移民労働者が4万5000人を超え、対するチャモロ人の人口は減り、先住民文化は衰退していきました。さらに最悪なことに、マリアナ諸島は第二次大戦において激戦地となりました。現在も島内の各地に戦争の傷跡が残されています。結婚式の際に訪れてみるとその悲惨さが胸せまります。ウエディングで滞在中に足を運んでみるのもいいでしょう。
 
 マリアナ諸島はミクロネシアよりも日本に近かったことで、マリアナ諸島は日本の防衛線の鍵となり、アメリカにとっては太平洋における戦略上の要衝となりました。
 1944年の夏、アメリカ軍は大量の兵力をサイパンに上陸させ、付近の日本海軍を攻撃しました。アメリカ軍は大した被害もなく日本の艦隊の大半を掃討しましたが、激しい陸戦では数百人の犠牲者が出ました。また、日本人は軍人も民間人もそのほとんどが戦死し、少なくとも4万の命が失われました。
 
 アメリカはティニアン島(Tinian)を日本への空爆の基地としました。広島と長崎へ原爆を投下した爆撃機もここから飛び立ったのです。一方ロタ島は、アメリカの侵攻軍が立ち寄ることがなかったので、比較的無傷で戦争を終えました。しかし、サイパン島とティニアン島の被害は大きく、製糖業も壊滅しました。



  

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