ホノルルの歴史2 数十年後、ホノルルの中心部には、聖アンドリュース大聖堂 St Andrew's Cathedral、イオラニ宮殿 'Iolani Palace、アリイオラニ・ハレ Ali'iolani Hale など、風格ある建築物が国王によっていくつも建てられ、近代的な発展を遂げました。しかし19世の紀半ばまでに、アメリカやイギリスの出身者が中心となる大規模な外国人コミュニティができあがり、西洋人たちはハワイ人から島の支配権を奪っていきました。
時代は19世紀になり、1874年から1891年にかけてハワイ最後の王として在位したデビッド・カラカウア王は、宣教師たちによって長年「みだらな踊り」として禁じられてきたフラ hula を復活させ、現在はハワイ州歌となっているハワイ国歌「ハワイ・ポノイ Hawaii Ponoi 」を作詞するなど、ハワイ文化の復興に大きく貢献しました。しかし、カラカウアは宴好きで贅沢な浪費家だと市民から思われていました。彼が負債を負うと、ハワイ経済を支えていた者たちの間で王の人気はますます失墜していきました。やがて彼らは王政の打倒を目指して、1887年にハワイ同盟 Hawaiian League を結成し、独自の軍隊を組織しました。