歴史4
終戦後の1947年には、国際連合は元日本委任統治領であるマリアナ諸島を太平洋諸島信託統治領とし、その全権をアメリカに委任しました。そして軍事基地を建設し維持する権利(および他国の基地を排除する権利)をアメリカに与えました。アメリカの信託統治領の体制は1986年まで維持されました。この体制の下では、アメリカと政治統合した国家(連邦)を建設するための制約として、マリアナ諸島と連邦政府の間の政治的枠組みが定義されています。
経済を振興することよりも、施しを与えることでアメリカは島を管理しようとしました。1948年には、中央情報局(CIA)はサイパン島の半分を民間人立入禁止区域とし、島の北部を軍の秘密工作に利用しました。1961年、サイパンとロタはアメリカ政府に対してグアムとの統合を請願しました。これと同様の要請は1969年までほぼ毎年行われましたが、グアムの住民投票で否決されました。否決された理由の一つとしては、日本統治下のグアムにおいてサイパン島民は通訳として働いており、これに対しグアム島民の間に悪感情が強く残っていたことが挙げられます。
1962年にCIAがサイパンを退去すると、北マリアナ諸島はようやく観光客に開かれるようになります。ここから結婚式など多くの観光客でにぎわう現在の北マリアナ諸島は形作られていきました。翌年には、信託統治領の行政府がサイパンの旧CIAオフィスに移りました。また、北マリアナ諸島は住民投票によりアメリカの自治領への編入を承認し、アメリカの経済的援助を確保しますが、その見返りとして、アメリカ軍は75平方キロメートルの土地を租借しました。コモンウェルス(自治領)協定の下で、北マリアナ諸島は領内の自治権を保持していますが、いっぽうでアメリカは外交権を保持しています。
1986年には、新たなコモンウェルス契約が発効され、島民にアメリカ市民権が与えられました。現在、北マリマナ諸島連邦の住民は、アメリカ国籍を保有しています。
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