結納

キレイ学のススメ ~ビューティー15~

ビューティー15|西村有紀子 キレイ学のススメ

デール・カーネギーきっとうまくいく魔法の言葉

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメはボストンコンサルティンググループ、シティバンクを経て、現在はローランド・ベルガーシニア・プロジェクトマネージャーである斎藤広達氏の『デール・カーネギーきっとうまくいく魔法の言葉』です。
正直、著者の解説は当然過ぎる表現でおススメできませんが、デール・カーネギーの言葉ひとつひとつはなるほど、心に響きます。『道は開ける』からの引用文ですが、励ましてくれるというよりは、傷つくことからプロテクトしてくれるような、“心のインフルエンザワクチン”本です。心身ともに疲れた時に、簡単に読み流すだけで癒し効果は抜群です。


アンダーラインポイント

人間の性格のうちでもっとも悲劇的なものは、どの人でも人生から逃避したくなるという点だろう。私たちはだれも、水平線のかなたにある魔法のバラ園を夢見ている。そのくせに、わが家の窓の外で今日咲誇るバラの花など見向きもしないのだ。

悩みが健康という名の法外な代償を払っていることを肝に銘じること。悩みに対する戦略を知らないものは若死にする。

私たちが敵に憎しみを感じると、むしろ自分自身が敵に支配されることになる。

自分が他人と違うからといって、一瞬にもせよ悲観することはない。あなたはこの世の新しい存在なのだ。「欠点や限界もそっくり含んだデール・カーネギーになりきるのだ。おまえは自分以外の者になれるわけがない」

1問題点は何か?
2問題の原因は何か?
3いく通りの解決策があって、それらはどんなものか?
4望ましい解決策はどれか?

もし利己的な人たちがあなたを利用しようとしたら、そんな連中と付き合うことはない。だが、仕返しは考えないことだ。仕返しをしようとすれば、相手を傷つける前に自分が傷ついてしまう。

人間とは生まれつき感謝を忘れやすくできている。だから絶えず感謝を期待していることは、みずから進んで心痛を求めていると言っても良い。

他人のためにささやかな幸福を生み出すように努力することによって、自分自身の不幸を忘れよう。他人に対して善を行うとき、人間は自己に対して最善を行っている。


目次

はじめに
1章 小さなことに悩んでいませんか
2章 「いま」を受け入れてみませんか
3章 幸せは自分の心の中にあります
あとがき

他人に対しての「善」は「偽善」と言われても良い、自分のためにしているのだから。

なぜあの人には気品があるのか

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメはこのコーナーでもたびたび登場している中谷彰宏氏の『なぜあの人には気品があるのか』です。「気品」という言葉は、「品格」や「上品」などとは違い、「気」という字が入っています。そこにはその人の心意気やライフスタイルそのものを感じさせます。「気品」を身につけるにはどんな風に暮らして行ったらよいか、をテーマに本書は語られていますが、決して金銭的なことではなく、心の「ゆとり」を感じさせる女性、美意識のある女性、それが「気品」のある女性といえるのです。
ワンランク上の自分を目指したい、セレブの風格を身に付けたい女性におススメの1冊です。


アンダーラインポイント

足音を立てないで優雅に歩けるかどうかは、ライフスタイルの差があらわれるところです。足音を立てない人は、きれいな歩き方をしています。

セレブは、3つのものとつながりがあります。
① 自然
② 近所
③ 歴史
気品のある人も、気品のあるホテルやレストランも自然・近所・歴史という3つの文化的要素を必ず持っているのです。

セレブは、「世間のルール」より「自分のルール」のほうがはるかに厳しいのです。世間では許されても、自分では許せないルールがあります。

セレブは、呼吸に仕方が違います。腹式呼吸ということだけでなく、呼吸をリズムに合わせられるのです。気品と言う言葉には「品」だけでなく、「気」が入っています。気品のある人は、呼吸のリズムを相手と心地よく合わせられます。

パトカーはどんなクルマより速いので、余裕があります。高速度で追いかけるパトカーは、スーパーエンジンを積んでいます。スピードを出そうと思ったら、いくらでも出せます。でも、違反車を見つけたら、「はい、そのクルマとまりなさい」とすごい余裕でとめてきます。緩やかにとめてくる威圧感は、セレブの持っている気迫と同じです。クルマに乗るときは、パトカーに乗ったつもりで優雅な気持ちで運転することです。それは必ず安全運転につながります。

セレブになれるかなれないかの境目は、一日中好きなことができるかどうかということではありません。一日に最低1つ、好きなことをやっているかどうかです。

セレブは人間関係に余裕があります。それは金銭的な余裕だけではなく、精神的な余裕から生まれることです。イヤな言葉を言われたときに、どれだけ余裕を持ってにこやかに受け入れられるかが、セレブかどうかの境目になります。

15分しかなくてもリゾートはできます。家の中でもリゾートできることがその人のライフスタイルを高めていきます。

セレブはみんなから挨拶される人だと思いがちです。が、本当は自分から挨拶している人なのです。

セレブとセレブでない人とは、話すことばが違います。階級がない日本の社会ですら話すことばで階級が分かれます。同じ日本語でも言葉遣いが階級を決めてしまいます。

自分の人生が終わらないためには、何かを学び続けることです。セレブとは、学び続ける人、向上しようとし続ける人のことです。他人に夢を託しません。


目次

まえがき
第1章 気品は、部屋から生まれる
第2章 気品は、裏から生まれる
第3章 気品は、ルールから生まれる
第4章 気品は、1人時間から生まれる
第5章 気品は、笑いから生まれる
あとがき

壊れたおねえさんは好きですか?

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメはジュニア向けファンタジー小説で活躍する傍ら、自らの壮絶な浪費人生を綴るエッセイストとしても注目されている、中村うさぎ氏の『壊れたおねえさんは好きですか?』です。主に男女の恋愛観、エロスについての持論を自虐ネタを中心として展開しています。直接的な言い回しで、深層心理をついてくる内容で、一見お気楽なエッセイとして読み流してしまいそうですが、哲学的に完成度の高い論理が印象的です。
著者の美意識の判断軸の位置が潔いまでに高潔であると感じるのは私だけでしょうか。偏執的な行動が目立つ著者ですが、聖女ともいうべき価値観に大いに共感できる、おススメの1冊です。表面的な俗っぽさと、その奥に秘められた神聖さとのギャップを楽しむことで、本書の醍醐味が味わえます。


アンダーラインポイント

人間の女として生まれてきてしまった以上、「人間として」生きる意味とはまた別に、「女として」の自分の存在価値についても頭を悩ますこととなる。今の世の中がどれくらい男女平等なのかは知らないが、たとえば「知性」や「才能」や「人柄」といった男女差を超えた評価基準で採点される一方、我々は「男」や「女」という性的能力(魅力ともいう)をも別基準で評価され続けているのであり、その両方の基準を満たしていないと「欠落感」や「劣等感」にさいなまれてしまうのであった。

私の破滅的な浪費癖は、ほとんど自傷行為に近いしなぁ。自分で自分をボロボロにする快感。そのうえ男にもボロボロにされたい、と。でも、お望みどおりボロボロにされたらされたで、その男を激しく憎んじゃうクセに。愛と憎悪、幸福と破壊は、私の場合、同じコインの裏表なのだ。

恋愛とは「相手を手に入れる」こと・・・すなわち、「征服」である。人間、年とともに欲しいモノが変わっていくのは当然だが、若い頃は何かと上昇志向が強いため、「自分より上のモノ」にすり替わり、たとえば金とか地位とか権力とか、そんなモノへの鬱屈した憧憬と復讐心が、それを体現する男(志麻子さんの場合はデブ)に投影され、化学変化を起こして「恋愛」にバケてしまうワケである。

男が古女房に性的ファンタジーを抱けなくなるのは、相手が「家族」となることで、女の湿度を失ってしまうからだ。家族とは日常であり、日常とは殺伐たる砂漠である。

「父性」とは男が生まれつき備えている属性ではなく、何かに打ち勝って獲得するもの。だからこそ、それは子どもにルールや行動規範といった「社会的」な役割を教える存在となる。他方、「母性」は多分に生得的な属性であり、それゆえ子どもに情愛や信頼といった「非言語的・観念的」な価値観を授ける。このふたつは、人間という社会的かつ生物的な存在にとって、車の両輪のようになくてはならない存在なのだ。

おまえの恋は実らない。いやそれはそもそも、恋ですらない。それはおまえの自意識の呪縛が生み出した妄執に過ぎないのだ。おまえが愛したいのは王子様ではなく、王子様に愛される自分自身に過ぎないのだよ、人魚姫。

それにしても「他人に迷惑をかけること」を勲章のように思うのは、数あるナルシシズムのうちでも、もっとも下劣なものではなかろうか。他人を翻弄するということは、すなわち他人を支配することであるから、それだけ自分の魅力が並々ならぬものであることの証明だと彼女達は思っているのだろう。その快感はわからないでもないが、他人を踏みつけにすることで自分の力を確認するナルシシズムなんて、いじめっこのそれと一緒で、ちっともカッコよくないよ。たとえ美人でもセクシーでも、そんな人間はサイテーだ。

中村の「モテたい願望」って「男が好き」なんじゃなくて、「男のモテる自分が好き」なんだよ。要するに「自分好き」。


目次(抜粋)

はじめに
「闇フェロモン」とは、何か?
オヤジは「堕落した父性」である
「母性」という名の魔女たち
魔女が白雪姫に嫉妬した理由
人魚姫は何故、海の泡になったか
男はいらない、「私」が欲しい
美貌と色気は「異形」である
おっちょこちょい女に明日はない
文庫版あとがき
解説辛酸なめ子

昨今の雑誌の「モテ特集」は言い換えれば「自分好き」特集なのですね。

不動心

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメは読売ジャイアンツを経て現在ニューヨークヤンキース所属のプロ野球選手松井秀喜氏の『不動心』です。2006年5月に左手首を骨折し、野球人生最大のアクシデントに見舞われ、それをきっかけに、よりメンタル的にも磨きがかかり、自己のコントロール法も向上したと言います。
けがの際に多くのファンからもらったエールに応える形で、苦難、困難を乗り越える方法をポジティブに語っています。これほどの選手であっても、私たちと同じように、またはそれ以上に悩み、自分との戦いに日々挑んでいるのです。力強く生きていくための松井流「未来への向かい方」がここにあります。


アンダーラインポイント

難しいことを言うようですが、その苦しみやつらさこそが、生きている証ではないでしょうか。僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます。

一度のミスもスランプもない野球選手などいるでしょうか。絶対にいません。プロ野球選手として成功してきた人々は、才能だけでなく、失敗を乗り越える力があるのだと思います。僕も、そんな力を身につけたいと考えています。

2005年末に石川県の実家にオープンした「松井秀喜ベースボールミュージアム」に、僕はこんな言葉を掲げています。
<日本海のような広く深い心と
白山のような強く動じない心
僕の原点はここにあります>
「広く深い心」と「強く動じない心」-すなわち「不動心」をもった人間でありたいといつも思っています。

残念ながら過去に戻ることはできません。過去の自分をコントロールすることはできません。しかし、未来の自分はコントロールできます。少なくとも、過去よりは思い通りにできる可能性を秘めています。それならば、前に向かうしかありません。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

いつも気を付けているのは、打撃に対する自分のアプローチを変えないこと。何度もいいますが、これは重要です。悪い部分は修正していくけど、根本的な考え方や取り組み方は決して変えない。結果が出ないからと基本的な部分まで変えてしまうと、これはもう、本当に収拾がつかなくなってしまいます。

結果が出ないときにグラウンド外で心掛けているのは、おいしい物を食べて、ぐっすり寝ることぐらいでしょうか。イチローさんは苦しくて、寝ているときに泣いたこともあるそうです。「お前さぁ、本当にそんなんでいいの?」とからかわれましたけど、そこまで思い詰めることはありません。

運ではなく、そういう肝心な場面で、選手が点を取れる確率の高い打撃を意識できているかどうか。逆に守りでは、点をやらずにしのげる確率の高いディフェンスができているかどうか。それが、強いチームと弱いチームの差だと思うのです。

仮に「勝負強さ」というものがあるとすれば、それは運というより、考え方とか技術的なものでしょう。つまり、思考や練習によって磨けるものなのです。

アメリカには世界中から優れた選手たちが集まってきます。その中でも、大リーグにいるような選手たちは、ごく限られた人たちを除いては、素質や能力にそう大きな違いはないと思います。差が出てくるとしたら、自分になにが欠けているのかを正確に受け入れ、それをおぎなうための正しい思考をもっているかどうか。そして、おぎなう努力をしていけるかどうか、だと思います。


目次

はじめに
第1章 5・11を乗り越えて
第2章 コントロールできること、できないこと
第3章 努力できることが才能である
第4章 思考でおぎなう
第5章 師から学んだ柔軟な精神
第6章 すべては野球のために
おわりに

スランプに陥っても、基本的なアプローチは変えずに小さな修正を加えていくという考え方は、徐々にスランプから脱していくのに最適だと納得します。

魔法の「タオル1本そうじ」

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメは掃除会社フラオ・グルッペ株式会社代表で生活評論家の沖幸子氏の『魔法の「タオル1本そうじ」』です。
そうじというと、そうじ機、トイレそうじ、台所そうじ、お風呂そうじ・・と全部やらなければいけない!と思い、そうじが苦手な人は決意がないと始められないということが多いものです。
しかしそうじ会社歴21年の沖氏によれば、毎日5分の小さな拭きそうじの積み重ねが快適な空間をもたらすという、そうじ嫌いには嬉しいかぎりの提案です。しかもどこの家庭にもたくさんある、タオル1本でです。そうじ力をアップしたいそうじ嫌いに贈る、簡単そうじ本。今すぐ読んで始めるしかない!


アンダーラインポイント

1何かのついでに、そうじ
軽くて手になじみやすいタオルならではの「ながらそうじ」。
2汚れたらすぐ!そうじ
料理の吹き零れやフライパン料理で飛び散った油は、その場で“すぐ”拭くようにします。
3気がついたら、そうじ
「汚れている」ことに気がついたときが、タオルそうじのベストタイミングです。

あなたの暮らしの中で、どんな些細な場所でも、短い時間でも、タオルそうじのチャンスは見つけられます。かける時間は5分以内がめやす。
※歯磨き、洗顔など、身じたくするとき(洗面台の水滴をふき取る)
※ 料理しているとき(シンクの水滴やレンジ台のふきこぼれを拭く、ケトルを拭く)
※ バスタイムを楽しんだあと(バスタブの内側を拭く)
※ 休日の午前中(フローリングの床を掃いて、拭く)
※ 朝起きてすぐ(鏡を拭く)
※ 毎晩、寝る前(キッチンの床を拭く)
※ 出かける前(玄関のたたきを掃く)
※ 帰宅して手洗いしたとき(洗面台を拭く)
※ 雨の日(シンク、冷蔵庫の中を拭く)
※ 雨が降った翌日(窓ガラスを磨く)
※ 天気のよい日の午前中(じゅうたん・畳を拭く、食器棚を拭く)

気分がのらないときや忙しいときは、ムリしてやらないこと。心と身体にさからったそうじをすると、疲れるだけです。
タオル1本そうじは、汚れに気がついたとき、時間が空いたとき、そうじでもやってみようかと思いついたときこそ“やりどき”です。

頑固な汚れこそ、少しずつ時間をかけずに1点集中を心がけることです。
そうじの下手な人は、そうじを思いついて始めたら、次々に気になるところが現れ、気がついたら寝食を忘れて?汚れを磨いていた、ということになりがちです。
だからそうじがつらくなり、よけい嫌になってしまうのです。

磨く動作と拭く動作は別の日に

私は「そこそこキレイ」なそうじをおすすめしています。
そうじが好きでない私自身「そこそこ」を目指すと決めたとたん、すべてのそうじがラクに簡単になったからです。人間も部屋も、「完璧にキレイ」はありえません。

そうじの効果を何倍も高めてくれる、ここぞという仕上げの場所があります。
シンクの場合、水道の蛇口。プロは必ず蛇口をピカピカに磨きます。こうすると、シンク全体がさらにキレイに見えるからです。


目次

はじめに
1 タオルで変わる、あなたが変わる
2 タオルがあなたの味方です
3 「タオル1本そうじ」の基本をマスター
4 「タオル1本そうじ」まずはここから
おわりに

料理をしながらそうじをする発想はありませんでした。

美人のお稽古

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメは美療カンパニー、キャシーズチョイス代表取締役、歯科医師岡村麻未氏の『美人のお稽古』です。
美容クリニックや化粧品開発にも携わる著者が、あえて「美容に必死になるのはやめなさい」というところから始まる美人論。著者があまりにも美人なので、若干極端とも思える提案が続きますが、極端な中にもやはり「美人は一日にしてならず」な努力の推奨は納得できます。仕事も恋愛も成功し、自信を持った女性はここまで強くなれるというお手本として、できることから始めてみましょう。そう、最初の一歩がなによりも大切なのです。


アンダーラインポイント

私が感じるのは、「働いている女の人は、それなりの美しさを手に入れることができる」ということ。

美しくなるためには、まず、人に恋し、人を愛する気持ちを持つことです。そういう気持ちは、「生きるモチベーション」を底上げするもの。

「まっこんなモノか」ととらえて、余裕を持っている人のほうが、確実に魅力的に見えると思います。要は、心に余裕があるかどうかなのではないでしょうか。人は、キャパシティが大きい人に惹かれる生き物だと思うのです。

美しい人たちは、他人の目から見ると十分に美しいのに、もっともっと美しくなりたいと、さらに上の「美」を追求します。トラブルを抱えた人たちも、それが治ると、今度は、このしわが、しみが、たるみが・・と、さらなる悩みを見つけます。
そう、どちらにしても、彼女たちは満たされないのです。こうして見てくると、要するに、外見ではなくて、内面の問題だということがわかるのではないでしょうか。

月に一度は、歯科にクリーニングをまかせるとともに、口の中の健康状態も見てもらいましょう。口の中が「健康」な人は、菌に強く、風邪もひきにくくなります。つまり、口から全身の病気を予防することが可能なのです。

私が信じられないのは、彼女達が結婚する相手の職業や年収など、うわべのことをいまだに気にしていることなのです。その裏側には、自分が自立できていないがための「不安」があるのだと思います。

究極の真の愛は、相手が生きていてくれることだけで満足、というものではないでしょうか。

仕事で成功している女は、必ず努力をしているし、それによって実績を重ねています。そうであれば、男が心変わりしようが、あなたが心変わりしようが、たいした問題ではない!恋愛には、努力だけではどうにもならない「縁」というものがあると割り切ればいいのです。

本を読み、印象的な1文を覚える。その1文を言葉として、心に留める。あるとき自分でも思いがけなくその言葉を口にする。その言葉は、次第にあなた自身になる。そしてその言葉は、好きな人の心を動かす。そんな言葉を話すあなたは、誰にとっても魅力のある人になっているはずなのです。


目次

はじめに
第1章 美しき恋愛筋肉を目指そう
第2章 コミュニケーションという恋愛筋肉
第3章 恋愛筋肉がつくと、男を見る目が変わる
第4章 魂が喜ぶセックスについて
第5章 恋愛筋肉がつくと、魂が変わる
第6章 自己鍛錬のための20の手引き
あとがきにかえて

地位も財産も名誉もないけど、あなたが好き、ということがありました。

夫婦って何?「おふたり様」の老後

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメは1997年に『僕って何』で芥川賞を受賞した、作家三田誠広氏の『夫婦って何?「おふたり様」の老後』です。
定年まで実直に働いてきた真面目なサラリーマンの夫は定年をした途端に妻から離婚を言い渡される、いわゆる「熟年離婚」が急増しています。やっと終わった会社勤めから解放された夫は、毎日何もせず、テレビの前でごろごろしていることで、妻を「主人在宅ストレス症候群」というれっきとした病気に追い込み、めまい、胃潰瘍、ぜんそく、高血圧、鬱病を引き起こします。
そんな悲劇を生まないためにも、夫は妻を大切にし、家庭内で自立をすることが不可欠であると著者は言います。定年していきなりは難しいのではないか?できれば新婚当初から自立して欲しいと思うのは私だけでしょうか。夫婦とは、老後とは、を考えさせられる特に男性に読んでほしい、おススメの1冊です。


アンダーラインポイント

勤勉だけが取り柄の夫は、定年になって仕事がなくなったら、ただの粗大ゴミだ。勤勉でまじめなサラリーマンは、仕事がある間は、よく働く立派な亭主と、妻に感謝される。その働きに応じて、退職金や年金が支給されるわけだが、妻の感謝の気持ちは、貯金や年金のようなかたちでプールされるものではない。
働いているその時だけ、感謝される。働かなくなれば、妻の感謝の気持ちはなくなってしまう。これが現実である。

会社を離れて趣味や生き甲斐がもてない人間。これは明らかに欠陥をもった人間なのだ。こうした自立できていない欠陥人間は、言ってみれば、日本企業の過剰な利潤追求によって発生した、産業廃棄物のようなものだ。ふつうの産業廃棄物は、放置されたり廃棄されたりすれば大きな社会問題となるところだが、この欠陥人間という産業廃棄物は、一家に一人、こっそりと廃棄される。
この産業廃棄物のために、妻は病気になってしまうのである。

「やさしい」という言葉の語源は、「やせる」である。
妻のことをおもいやって、やせてしまうのが「やさしさ」であるとすれば、「メシはまだか」と催促し、テレビの前でごろごろして、メタボリック症候群になってしまう夫は、まさに「やさしさ」の対極にあるといっていいだろう。

何よりも必要なのは、夫が家の中で自立することだ。妻の助けがなくても、一人で生きていける。その能力がそなわってこそ、さらに妻のサポートに回れるのだから、まず自分のことは自分でするということから始めないといけない。

はっきり言って、ジャージを着た老人の姿は醜いものだ。
定年後の男性にとって、妻は、何よりも大切な存在であるはずだ。その大切な人の前に、普段着の無防備な姿をさらすのはいかがなものか。

できる男は、妻に命令したりはしない。恐ろしくてそんなことはできない、という人もいるだろうが、外で有能に仕事をしている男ほど、妻にはやさしく接するものだ。

定年後に働きたいと思う人は、働きたいから働くのだと自覚した方がいい。仕事が趣味なのだし、道楽で働くのだ。いわば遊びである。遊びなのだから、そこで儲けようとするのではなく、トントンで推移すれば、楽しんだだけトクをしたと考えるべきだ。

わたしは定年後の生活こそ、本当にやりたいことを探し、本当の自分と出会う、本物の青春時代だと考えている。

何でも一人でできるように夫をきたえてやるのが、妻のやさしさであり思いやりだ。


目次

まえがき
序章
第一章 熟年夫が妻に嫌われない方法
第二章 定年後も亭主は丈夫で留守がいい
第三章 妻がなさねばならぬこと
第四章 元気で明るい老人が社会を変える

60歳からが青春時代だなんて思うと、これから先の人生が本当に楽しみになりますね。

危ない日用品使っていませんか?

エクセルコ ダイヤモンド 宇都宮店 こんにちは西村有紀子です。今日のおススメは薬学博士稲津教久氏と医学博士池川明氏の『危ない日用品使っていませんか?』です。皮膚を通して吸収してしまう「経皮毒」にスポットをあてた本書は驚きの現実を突きつけてきます。
普段私たちが何気なく使用している、化粧品、洗剤、シャンプー、口紅、その他さまざまなものが、毒として皮膚から摂取されているという現実。日本人の死亡原因の50%がガンになってしまったのも、経済が発展し、生活が便利に、豊かになったがための化学物質大量摂取が原因であるのは間違いなさそうです。本書ではそれぞれの商品に入っている固有の危険物質を指摘していますので、買い物に行く時に必携の1冊です。きれいで健康な毎日を過ごすためには、絶対に知っておきたい知識の1つです。また、これから妊娠、出産を考えている女性も赤ちゃんのために今すべきこと、やってはいけないことが明確に書かれています。必読!かなりおススメです。


アンダーラインポイント

意外と見落としがちなのが、前述したように、「体の“毒”になる化学物質は、口からはいるだけではない」という点です。
口から入る、呼吸器から入るということは知っていても、「皮膚から入る」ことはまったく意識していなかったという人は多いのではないでしょうか。

化学物質は母から子へ、その子から孫へ、さらにひ孫へと、先の世代へ受け継がれて悪影響を及ぼす「経世代毒性」を持っています。

皮膚から入った「毒」は血液やリンパ液にのって、体中を駆けめぐります。

吸収されてから10日経っても約10パーセントしか排泄されません。

肌に直接つけるスキンケア製品にも配合されていることがあると知っていましたか?
たとえば、水と脂を混ぜ合わせるための「乳化剤」、製品の成分を安定させるための「保湿剤」、湿り気を与えてクリーム状にするための「湿潤剤」として、合成界面活性剤や界面活性作用を持つプロピレングリコールが配合されていることがあるのです。
つまり、皮膚の角質層のバリアを壊してしまう物質を顔にぬりつけているということになり、その危険性はいっそう高まります。

また、生理用ナプキンやタンポンには月経血をよく吸収させるための「高分子ポリマー」が使用されていて、これが皮膚障害を起こすことが知られています。

おむつ換えのときに赤ちゃんのおしりを拭くウエットタイプの清浄綿にも、「合成界面活性剤」「プロピレングリコール」が使われていることがあります。

シッカロールには微量とはいえ、さまざまな金属成分が含まれており、そのなかでも特に鉛は有害です。シッカロールの細かい粉とともに鉛が吸い込まれると、塵肺症などの障害が起こる危険性があります。

経済産業省は赤ちゃん用の包帯、肌着、よだれかけなどを洗濯する際に「蛍光増白剤」を使用することを禁止しています。

おしゃぶり、歯固めを赤ちゃんに使わせるなら、ポリエチレン製かポリプロピレン製のものを選ぶようにするとよいでしょう。

香水、オードトワレ、オーデコロンには環境ホルモンの「フタル酸エステル」が揮発剤として使用されていることがあります。
その場合、皮膚から環境ホルモンが吸収されるとともに、揮発したものを呼吸と一緒に吸い込んでしまう恐れがあります。

脇の下に塗って汗と臭いをおさえる「制汗デオドラント剤」が各種出回っています。
そのなかには「アルミニウム」が含まれているものもあります。アルミニウムが神経系にダメージを与える「神経毒」であることは明らかで、神経障害や精神障害などを引き起こす危険性が高いといわれています。


目次

はじめに
Part1 皮膚から侵入した「毒」が身体の不調を招く!
Part2 なぜ女性は「経皮毒」の影響を受けやすいのか
Part3 美容グッズがあなたの「キレイ」を壊している!?
Part4 危ない!ふだん使っているあの商品も・・・
Part5 この「経皮デトックス」で病気に負けない体をつくろう!

わが家は10ヶ月のBabyがいるにもかかわらず「蛍光増白剤」入りの洗剤を使用していました。明日、新しい洗剤を買いに行こう。

ぼちぼち結論

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメは『バカの壁』でおなじみの養老猛司氏の『ぼちぼち結論』です。その時代の時評をまとめた本書はホリエモン、靖国問題、団塊世代の定年・・さらに幸せや文明について考える哲学的、現実論です。
著者独特の三段論法は、正反対の見解を持っていたとしても、最後には「なるほど」と納得せざるを得ない結論付けで、テーマの展開のたびに、好奇心がそそられる内容です。
著者の常に物事の本質に立ち返る考え方は、私たちも身につけたい思考方法だと思います。時事問題の内容だけでなく、思考方法を学ぶために、非常に良い教材となってくれる1冊です。
「客観視」というものは、どこから、どこの角度で見たものが「客観といえるのか」という定義に始まり、一人として同じ角度からモノを見ることは不可能であることから「客観視」とは典型的な「抽象」である、という著者の考えに共感します。そう知ることは、また1つ「現実」を知ることにつながっていくのです。最後まで楽しめます!!

アンダーラインポイント

世代が変わるというのは、ダメという常識が非常識に変わるから面白いので、ダメなものはダメというのは、子どものときから聞き慣れている。死んだものを生き返らせろといったところで、そりゃダメだが、政治は人事で、人事なら人の考えでどうにでもなる面があるはずである。つい先ごろには特攻まで出したお国柄なのに、ダメなものはダメということはあるまい。

現実とは「その人の行動に影響を与えるもの」である。それ以外にはない。そう思ったら、長年の重荷が下りてしまった。
だから現実は人によって違う。唯一客観的現実なんてものは、皮肉なことに、典型的な抽象である。だって、だれもそれを知らないからである。

講義をすれば、そのときは頭に入るかもしれないが、じつはまもなく忘れる。参考書なら死ぬほどあるから、それを読んで、あとは自分でやってみるしかない。そこからなにを学ぶか、それは本人次第である。人生自体がそうではないか。いくら他人の人生の話を聞いたって、生きていくのは自分である。

ホリエモンがいちばんいじめた相手は、亀井さんであろう。あの人は警察関係である。それなら警察の上の方からしっぺ返しがくるのは、いわば当然ではないか。武部だの、竹中だの、小泉だのが背後にあるんだから、私はホリエモン事件は政治だと見る。

ときどき書くが、誤解するのは誤解する方が損をする。私はそう思っている。そう思っていなければ、学問などやらない。学問とは誤解しないように務めることだからである。だから誤解されても腹は立たない。誤解とは事実誤認で、事実誤認はいずれ自分の身に跳ね返る。自分の考え違いで、道を間違えたら、自分が道に迷う。

首相だろうが、だれだろうが、靖国に個人が参拝することに問題はない。しかし世間一般の意見は「首相ならそれを遠慮すべきではないか」ということであろう。それはしかし、私が思うに、憲法違反である。首相も国民の一人で、それなら基本的人権がある。憲法はそれを保障していると思う。

対イラク戦争が、実際には石油の供給に関する戦争だとう事は、当たり前じゃないのか。イラクの石油はサウディなみの埋蔵量を持ち、採掘もコストがかからない。石油価格が上がると、そのあとにかならず不景気がくるという、アメリカの事情を考えたら、第一次オイルショック以来、アメリカ政府の動きを左右しているものはなにか、わかりきっているのではないか。それならイラク戦争を「テロに対する正義の戦い」と日本の新聞が報道するのは、真の「客観」報道か。石油資源に関する戦争だと書いて、なにがいけないのか。


目次

Ⅰ 定年後の団塊他
Ⅱ 意識は中心か他
Ⅲ 子どもの自殺他
Ⅳ 結論は1つ

「誤解」はされる方よりする方が損をする、という概念は人を勇気付けますね。

子どもをナメるな

こんにちは西村有紀子です。今日のおススメは慶応義塾大学小額日客員教授の中島隆信氏の『子どもをナメるな』です。
「教育は消費活動である」という考えを前提に、義務教育は賢い消費者を作ること、賢い消費者とは自分の人生を自分でデザインできる人間であり、社会を浴するのも、まずは各々の消費者としての教養にかかっていると言い切ります。
確かに消費をせずに生きている人間は一人もいません。子どもであっても消費活動はしているのです。何のために義務教育で算数を、国語を、理科を、社会を学ぶのでしょうか。それは受験のためでもなく、将来の生活の安定のためでもなく、学んだ人間が科学や社会学やその他の分野で発明発見をし、国民の発展のために寄与する人材を育成するためです。ゆえの国力アップなのです。ただし、消費者である子どもにニーズを感じてもらわなくては、勉強に積極的に取り組んでもらえません。そのニーズに応えるとは「勉強を好きになってもらう」ということ。どのように説明をすれば、子どもたちに勉強をするインセンティブを感じてもらえるのか=国力アップにつながるのかを経済学的見地から真剣に論じた1冊です。若干、難解な部分もありますが、まったく新しい切り口の教育論は、ゆとり教育の名の下、地に落ちたといわれる日本の教育システムに一石を投じていることは間違いありません。


アンダーラインポイント

人間の価値は身分によってではなく、学問を修めているかどうかできまる。

福沢がいう「賢人」は、テストの成績が良く、頭の回転が速いという意味のいわゆる「頭の良い人」を指すのではない。歩く百科事典のような何でも知っている博学の人という意味でもない。自分の頭で考え、自分の意思で行動できる人のことだ。

消費には個人の主体性が存在するのである。だからこそ、そこに「賢さ」が必要となるだろう。外国語を知っていれば海外の料理店で現地語のメニューを理解することができる。地理や歴史を知っていれば、旅行が楽しくなる。化学を勉強していれば食品添加物の人体への影響もわかる。美術品の見方を知っていれば、美術館に行きたくなる。多くの学問は消費したときにこそ役立つのである。

戦争がいかに無意味な資源の浪費であるかを教えるのは社会科の役割である。そして、地球環境の破壊も消費生活を脅かす。生命の神秘や自然の秩序の素晴らしさを教える理科は、同時に環境問題の深刻さを語ってくれる。

勉強の成果が主体的な消費を可能にするという意味で自分自身に返ってくることを子どもに実感させなければならない。

一人の子どもを教育することは、単に知能的能力の高い一人の人間を作り出すだけに留まらない。その人が生産する知的アウトプット、すなわち発明、発見、著作物などは多くの国民の生活を向上させ、知的刺激を与えるといったプラスの外部効果をもつだろう。

学校は塾ではないから受験とは別のニーズを汲み上げてそれを満たす必要がある。そのニーズとは「勉強を好きになる」ということである。

税金によって賄われる義務教育に公共性が問われるならば、市場の質の向上に貢献する賢い消費者の育成こそ義務教育の目的とすべきだろう。

市場経済のようなドライな取引では済まない夫婦や親子間では、いったん信頼関係が失われると家族を形成していることが不利益になってくる。実質的には崩壊している家族を無理に維持させようとすれば、家庭内暴力や熟年離婚といった形でゆがみが表れるのである。

人間には意図しない行動もある。その典型が過失である。だれでも失敗しようと思ってするわけではない。したがって、本人の意図しない行動について叱りつけることはほとんど意味がない。この場合は「何がその人を失敗に追い込んだのか」あるいは「なぜその人は知らずに失敗に結びつくような行動をとってしまったのか」について考えるのが望ましい。

賢い消費者を育てるために最も適切な回転寿司の食べ方は、子どもに「○○円以内で好きなものを食べなさい」と指示することである。

日本が経済的繁栄を謳歌してきた最大の理由は自由貿易の恩恵である。そして、自由貿易は世界平和の実現によってこそ成り立ちうる。

社会科は国土を愛するために学ぶのではない。平和の恩恵を知るために学ぶのだ。愛するか愛さないかは個人の選択の自由であり、個人の心情に国家が課に有することは望ましくない。その点、平和は万人の願いである。そしてその重要性は、人間以外に世界に誇れる資源を持たない日本においてこそもっとも強く認識されていなければならないといえる。

理科はエンジニアや医者になるために勉強するのではない。科学の進歩によって傲慢になりがちな人間の頭を冷やすために勉強するのである。


目次

はじめに
第1章 義務教育の役割
第2章 子どもをナメるな!
第3章 すべての科学は「役に立つ」
第4章 これからの社会、これからの教育
おわりに

理科を学び生態系の中の人間のポジショニングを知ることは、危機に直面している地球を救う手立てを思いつくかも知れません。